小沼愛子
右のは世界的に有名な指揮者、小澤征爾さんの昔のお写真です。ここをご覧になる方のほとんどが小澤さんのお名前だけでなく、その輝かしいご功績をご存知だなのではないでしょうか。
さて、昨日、「ドラマの生まれる街ボストン」というテーマに惹かれて、ある日本のテレビ番組を観ていました。どんな内容か全く知らずに見始めたのですが、番組の前半は地元の大リーグチーム、ボストン・レッドソックスを中心にして話が進んでいきました。
昨年の同級団の日本人選手達の活躍にボストンもとっても盛り上がりましたが、日本の大リーグファンの方々も一緒に盛り上がっていてくれたことでしょう。思えば、ワールドシリーズ優勝の瞬間も上原投手が画面の中心でした。
なので、「この番組の運びがこうなっているのも無理ないのかな」と思いながら観ていました。(私はレッドソックスのファンなので結構楽しかったのですが。)
しかし・・・ボストンがどんな所かという紹介だと思っていたのに、意外にも野球一色の番組運び。うーん。この先どうなるんだろう、と思ってもいました。
そんな時、突如、小澤征爾さんが画面に現われたのです。
あれ??
きけば、小澤さんは筋金入りのレッドソックス・ファン、ということで、はるばるボストンまで応援にいらしたとのこと。
番組の中でも、レッドソックスのユニフォームを着て赤いソックスを履き、とっても楽しそう。(上の写真の表情とはかなり違っていました。)
小澤征爾さんは、ボストン交響楽団の指揮者を30年近くもお務めになられたという経歴があります。なので、レッドソックス・ファンだというのには特に不思議はないのです。
その楽しそうなお姿を観ながら、私の心は過去へと飛ばされていました。
オザワセイジさん・・・そういえばこんなコトがあった・・・
それは、「世界の小澤」が指揮するシンフォニーを聴くために、初めてボストン交響楽団に足を運んだ日のことでした。
同行した友人が、「演奏の後、楽屋で小澤征爾さんとお話したいから行ってみようよ」と言うのです。私達には全くコネもないのに、です。
私はその発想にかなり驚きました。普通そんな図々しいこと出来ないでしょ、お疲れなんだし、と。
しかし、彼いわく、「ここではそれが許される」ということで、疑いながらも演奏終了後に楽屋に通じる通路の前で他の人に交じって待ってみました。確かに私達だけではなく、他にも沢山の人がそこに並んでいたのです。
30分も待たされなかったように記憶しています。並んでいた人達は順に楽屋に通され、5分後には、私達はタキシードから浴衣に着替えた小澤征爾さんの目の前に立っていました。
演奏と指揮に大変感動したことをお伝えした後、「僕たち、バークリー音大で勉強しているんです」と、友人が小澤さんに話し始めました。
「そう。何をやってるの?」と尋ねる小澤さん。「サックスをやっています」と友人が答え、音楽家らしい会話の続く中、小澤さんの視線は私に向けられます。そこで、
「私は、音楽療法が勉強したくてここに来ました」と言うと、
「・・・ほお・・・オンガク、リョウホウ?・・・そんなのがあるの・・?」
と、ちょっと驚いた様子の、世界の小澤さん。
「はい、あるんです」と、気の利かない受け答えしか出来ない私・・・
「セカイのオザワ」さんが、「オンガクリョウホウ??キイタコトナイネ」という反応をされた事実に少々ショックを受けていました。
その少し後(2002年)に小澤征爾さんはウィーン・フィルに移籍なさったため、以来楽屋をお訪ねすることもありませんでしたが、度々テレビでお姿を拝見し、今でもこう思います。
「小澤さんに音楽療法についてお話したい。知っていただきたい」と。
世界のオザワも知らなかったこと。
それは、音楽療法たるものが存在している、ということでした。
ちなみに。
当時、「アメリカでの音楽療法の認知度ってどうなのかしら」と謎に思っていた私にとって、この出来事はほんの序幕にしかすぎませんでした。
小澤さんの反応はしごく当たり前だったよね・・・と今では思うようになっています。
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