小沼愛子
今回は私自身の「音楽拒否」症状からの回復の話です。
(ブログ「音楽を拒否する時・される時 vol.1」「音楽を拒否する時・される時 vol.2」からの続きとなります。)
交通事故に遭った10日後のことでした。可能な限りあらゆる種類の音楽を避けていた私は、日課となった怪我の治療に出かけました。治療が終わってクリニックを出た私の耳に、それは恐ろしく音程の外れた古めかしい鐘の音が鳴り響いたのです。
目の前には美しい教会があり、鐘はその教会のものだということはすぐに理解出来ました。
そして何秒後には、その鐘が「America the Beautiful」という曲の旋律を非常にゆっくりと奏でていることに気づきました。
アメリカの自然の美しさを讃える曲であり、この国では愛国歌としても非常によく知られています。
特に、先日のボストンマラソンでの爆弾テロ後、地元の多くの教会や追悼イベントで唄われてきた曲です。この鐘もその意味で鳴らされていたのではないかと思います。
音楽や大きな音をひたすら避けていた私は、この壮大な鐘の音にとっさに身を固くしました。体に、音楽の振動による「痛み」が起きていないか探りつつ、鐘の音と音の合間に深く呼吸をしてみました。
そして、数十秒後に「自分は大丈夫そうだ」と確認できた瞬間、安堵感に包まれたと共に、涙が出そうになりました。この時、鐘の音は、私の痛んだ骨ではなく、心に響いていたのです。 私は鐘の音に合わせて頭の中でこの曲を唄い出し、鐘の音がこの曲を演奏し終わるまでその場に立ってこの曲を歌い続けました。
さて、この後、めでたくすべての音楽を気持よく聴けるようになったか、といえば、答えは「いいえ、全く!」なのです。
少しずつ受け入れ幅は広がってきましたが、今でも仕事で大音量のライブ音楽を聴く時など、痛みが増すので非常に辛くて困っています。
この鐘の音の経験について、自分でも「おもしろいな」と思うのは、鐘の音は笑いたくなるくらい音程が外れていましたから、普段だったら音楽としてはあまり楽しめないものだったことです。
何故私はこの鐘の音を受け入れることが出来たのでしょうか?
理由としては、まず、この曲が今の私達ボストン市民にとって特別な意味を持っていたから、ということが確実に影響していたと思います。
そして、これが壮大なオーケストラや、完璧なピアノ伴奏の付いた歌ではなく、ありえないほどゆっくりした単旋律だったからこそ、私はそれを受け入れることが出来たのだとも思います。
ひとつひとつの音の合間に、自分の体の反応を確認する余裕があったから聴けたのではないか、と考えています。
こうした条件が偶然揃い、期せずして的確な音楽を的確な形で提供された私は、鐘の音ひとつひとつを消化しながら、この音楽と時間を共有出来たのだと思います。
それは、美しい音楽を聴いて感動して涙が出るような体験とは全く異質なものものでしたが、音楽が「痛み」から「癒し」に戻った安堵感は個人的には感動的で忘れがたく、また、音楽療法士として忘れてはならないと思える体験となりました。
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