音楽を拒否する時・される時 vol.1

 

小沼愛子


 

皆さんこんにちは。ここ北米北東部ボストン市では、ようやく桜やモクレンが花開き、春らしくなってきたところです。

 

本来なら暖かい春の日差しの中をゆっくり散歩に出かけたいとこですが、私は少し前に交通事故に遭って全治2か月と診断され、運動は一切禁止、治療に通う毎日を送っています。これまで痛みで何もする気になれない日々でしたから、久しぶりにブログ記事を書く気分になれたのは大きな前進です。

 

ここボストンでのマラソン大会中に爆破テロがあったのは、私が事故にあった4日後のことでした。3人の方が犠牲になり、200人近くの方々が負傷されたこの事件については世界中で報道があったようですから、皆さんすでにご存知だったかと思います。

 

事故後の体の痛みに翻弄され、地元でのテロ事件のショックも加わり、鬱々とした毎日を送っていましたが、お見舞いのメッセージをいただいく度に心が救われました。心からお気遣いを下さるメッセージばかりで、本当にありがたく嬉しく感じたものです。

 

しかし、先週、あるお見舞いメッセージを読みながら、自分が妙に戸惑っていることに気がつきました。今回はその「戸惑い」とそこから考えたことを書かせていただきます。

 

さて、私が戸惑ったメッセージは、ある音楽療法士からのお見舞いメールの最後の一文として現れました。日本語にすると、「(自分の為に)何かリラックス出来る音楽を聴くことを忘れないでね!」というものです。何とも音楽療法士らしいメッセージだと思うのですが、実は、私は「しばらく音楽は聴けないかも」という状態に陥っているところだったので、思わず苦笑してしまったのです。

 

今回怪我を負って以来、何度か好きな音楽を聴く事を試みたのですが、何を聴いても痛んでいる骨や頭にひびく感じがしてとても耐えられず、すぐに止めてしまっていたのです。仕事上どうしても音楽を聴かなくてはいけない日もあったのですが、普段だったら楽しく聴ける音楽がほとんど暴力的に辛く、「これは一体何?」と自分に問いかけることもありました。

 

そして、この体験から、自分が過去に行ったいくつかの音楽療法のセッションが走馬灯のように思い出されました。それは、患者さんから、音楽や音楽療法を「拒否」された時のことばかりです。

 

次回は、この続き、過去に「拒否された」セッションを振り返りつつ書かせていただこうと思います。

 

 

最後に、今回のボストンマラソンでのテロの犠牲になった方々のご冥福をお祈りすると共に、負傷された方々が一日も早く回復されますようお祈り申し上げます。

 

 

*続きはブログ「音楽を拒否する時・される時 vol.2」をご覧下さい。

 

 

 

 

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